仙台高等裁判所 昭和40年(う)99号 判決 1967年12月04日
被告人 浅野政弘
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、仙台地方検察庁石巻支部検察官検事斎藤正人名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。
控訴趣意(事実誤認および法令適用の誤り)について
論旨は、要するに、原判決が、本件起訴状記載の公訴事実第二の殺人未遂につき、殺意の点を除き公訴事実とほぼ同一の事実を認定した上、被告人の犯行について正当防衛の成立を認め、無罪の言渡をしたのは、事実の認定を誤り、ひいては法令の解釈適用を誤った違法がある、というにある。よつて、本件記録および原審で取り調べたすべての証拠を精査検討し、当審における事実取調べの結果をも斟酌勘案するに、被告人の本件犯行は、原判決が詳細認定したような経緯からなされるに至つたものであつて、被害者千葉恒成は、平塚達男と口論の末やにわに所携の刃渡約三九・九糎の刀を双手に握り平塚の腹部目がけて突きかかつたので、同人は手にしたシヤツで両側から右刀を掴み、辛うじてこれを防いだものの、千葉はなおも攻撃を止めず、川沿いの道路を後退する平塚を追い詰めたため、同人は最早逃げ場を失い、掴んだ刀から手を放せば刃先が腹部に突き刺さる絶体絶命の窮地に陥つた際、被告人がこれを制止すべく両名の間に割つて入るや、千葉は平塚に突きつけた刀を引いて、「この野郎、殺されるなよ」と叫けびざま被告人目がけて突きかかつて来たので、被告人がこれを避けようとしたはずみによろめき、左膝を地面についた瞬間、千葉は右手に握つた刀を頭上高く振り上げ、被告人目がけて振り下さんとしたので、被告人はこのままでは殺されるものと直感し、突嗟に胴巻に隠してあつた刃渡約一四・五糎の匕首を右手に取り出し、前面から千葉に抱きつきさま同人の右背部を続けて二回突き刺したことを認めることができる。論旨は、被告人は、千葉の背後から走り寄つてその背中を匕首で突き刺した旨主張し、証人浮津善一は、原審公判廷で右主張に副う供述をし、当番の同人に対する証人尋問調書にも、原審における供述よりはややあいまいな点はあるが、趣旨においてほぼ同一の記載があり、被害者千葉恒成も原審における証人として同旨の供述をしているけれども、原審証人平塚達男の供述記載、当審の同人に対する証人尋問調書、原審証人佐野正信の供述記載ならびに同人らの検察官に対する各供述調書、殊に、当審鑑定人村上次男作成の鑑定書中「被害者千葉恒成の背部にある二個の創は、加害者が証第一号(匕首)を右手に持つて被害者に抱きつき、傷つけることによつてできたとする考えに大きな蓋然性が認められる」との記載に照らし、到底措信できない。そして、被告人は、千葉らが深夜平塚を呼び出したのは、前夜来からの経緯からして、同人に喧嘩を仕掛けるためであると察知し、万一千葉らから攻撃を受けた際の護身用として、かねて平塚方の押入に蔵置してあつた前記匕首を携行したのであつて、積極的に相手方に攻撃を加える意図を有しなかつたことは、被告人の捜査段階以来の一貫した供述によつてこれを認めるに十分である。論旨は、被告人は、千葉との前夜来の経緯から当然同人らとの喧嘩闘争になることを予期し、右匕首を携行したもので、原判決がいうように単なる護身の目的ではなく、むしろ千葉を攻撃する積極的意図を有していた旨主張するけれども、もし所論の如く、被告人に千葉を攻撃する積極的意図があつたとしたならば、平塚が千葉に追い詰められて絶体絶命の窮地に陥つた際、進んで千葉を攻撃する絶好の機会があつたにもかかわらず、これをせず、被告人自身が千葉から攻撃を加えられて初めて右匕首を使用した事実に徴しても、被告人には積極的攻撃の意図がなかつたものと認めるのが相当である。かように、攻撃準備のためではなく、未来の侵害を慮り、防衛の目的で匕首を携行した場合、すなわち予想される侵害に対する防衛準備行為と目される場合は、その行為自体なんらの違法性を帯びるものではなく、急迫不正な侵害に対する防衛行為の一環として、これと同次元に立つのであつて、正当防衛の成立を妨げるものではないと解するのが相当である。
右認定事実からすれば、千葉の被告人に対する右攻撃は、一方的なもので、その生命、身体に対する急迫不正な侵害であることはもちろんであつて、被告人が携行した前記匕首を抜き放つて千葉の攻撃に応じたのは、自己の生命、身体の防衛上やむを得ざるに出た行為というべく、かつ、右防衛の程度は、前認定の状況のもとにおいては、相当性の範囲を逸脱しないものと認めるのが相当である。してみると、原判決が本件公訴事実第二の殺人未遂につき正当防衛の成立を認めて、被告人に対し無罪の言渡をしたのは相当であつて、なんら所論の如き事実誤認および法令の解釈適用を誤つた違法はなく、論旨は理由がない。
よつて、刑事訴訟法第三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 矢部孝 西村法 佐藤幸太郎)